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福岡地方裁判所 昭和32年(ワ)684号 判決

原告 西山一男

被告 永田鉱業株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告が、昭和三十二年二月十八日原告に対してなした解雇処分の無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

「一、被告は石炭の採掘、販売を業とする株式会社であり、原告は昭和二十七年十一月試用者として被告会社の工作課捲揚機運転工に雇傭され、その後同会社の労働者として稼働してきた者であるが、被告会社は昭和三十二年二月十八日無断欠勤を理由として原告を懲戒解雇処分に付するに至つた。

二、しかしながら、右解雇処分は次のような理由で無効である。

(一)  右解雇が無断欠勤を理由とするというのは後日判明したことで、解雇当時解雇の理由は明示されず且つ法令に定める解雇の予告もなされていない。したがつて右解雇は労働基準法第二十条に違反し無効である。

(二)  また原告には無断欠勤の事実はない。

原告は昭和三十一年二月二十三日午後一時三十分頃当時稼働していた被告会社の田富炭礦右二片坑道において、炭車を押出運搬中天井枠の間よりの落硬により左前腕部を負傷し、右炭礦診療所で治療の上同年四月三十日小倉市労災病院に入院同年九月十五日症状固定により治癒退院したが、右負傷により左手五指の用を癈し身体障害者となつたので、その後退院後の同月十八日被告会社の坑務主任である近藤義男に仕事内容について相談したところ、同人は原告を坑内通気門番夫、または坑内選炭夫のいずれかに就業させる旨確約した。そこで原告は同月二十一日より二十九日まで(同月二十三日、三十日は公休)出勤したが、その間前記確約に基ずく門番夫、または選炭夫の仕事は与えられず、坑内充填夫として稼働させられた。

しかし身体障害者たる原告としては、このような労働に堪え得ないので、同年十月一日「現在の職種による就業はその作業の十分の二の作業もできないので十月九日まで欠勤する」旨の欠勤届を提出して同年十月一日より九日まで欠勤し、その後十日より十三日まで出勤稼働、十四日は公休、十五日は届出の上欠勤、十六日より十八日まで出勤、十九日妻不在のため届出欠勤、二十日は出勤稼働、二十一日は公休であり、二十二日以降冒頭記載の解雇の日に至るまで欠勤したのである。

ところで原告は、右十月二十二日には「現在の職種による就業はその作業の十分の二の作業もできないので十一月二日まで欠勤する」旨の欠勤届を提出していたものであり、右欠勤届の期限後の十一月三日には「(イ)現在の職種による就業はその作業の十分の二の作業もできないので欠勤する。(ロ)障害等級決定時まで欠勤する。(ハ)意志に反する作業に就労することは再度労災を招く原因になり、災害発生については労資の損害になるので欠勤する。(ニ)人件費節約のため。」の四項目を理由に当分の間欠勤する旨の欠勤届を提出したのである。

以上のように原告としてはすべて適法な欠勤届を提出した上、欠勤したのであつて、これを無断欠勤であるとする被告の処置は極めて不当である。

と陳述し、被告の答弁に対して、

「被告が十一月十日以降は医師の診断書をつけねば無断欠勤の取扱をなす旨を原告に通知したということ及び原告が被告主張のような経緯によつて被告会社より解雇されたということは、いずれも否認する。」

と述べた。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、

「一、原告主張の請求原因二、(一)の事実全部及び同(二)のうち原告が落硬により左手五指の用を癈したこと、原告の退院後被告会社の坑務主任近藤義男が原告を門番夫または選炭夫のいずれかに就業させる旨確約したこと、原告が昭和三十一年十月一日及び同月二十二日にそれぞれ欠勤届を提出したこと、同年十一月三日原告主張のような欠勤届が提出されたこと、原告が同年十月二十日に出勤稼働したことはいずれも否認する。その余の原告主張事実はすべてこれを認める。

二、もつとも、昭和三十一年十一月三日原告より「家事の都合により当分の間休業いたします。」との届出があつたので、被告会社としては十一月一日より十日まで一応事故欠勤(届出欠勤)の取扱をしてやることとし、その旨に併せて十一月十日以降は医師の診断書をつけねば無断欠勤の取扱をなす旨を原告に通知した上右の期間につき事故欠勤の取扱をなした事実はある。しかしながら十一月十日を過ぎても原告よりなんらの届出に接しないので、同月十一日以降無断欠勤となつたものである。

三、本件解雇は次のような事実に基ずいてなされたものである。

原告の主張で明らかなように、原告は昭和三十一年九月十五日小倉市労災病院を治癒退院後出勤常ならず、加うるに同年十月十九日より全く出勤せず、その後十一月、十二月更に翌昭和三十二年一月、二月と連続一日も出勤せず、原告は被告会社において勤労する意思を有しなくなつた。そこで

(一)  被告会社は原告の右の如き出勤状況に鑑み原告を解雇することを決意し、昭和三十一年十二月二十八日原告所属の田富炭礦労働組合に対し右の旨を申入れる一方、原告に対しても解雇の予告をなしておいた。

(二)  その後昭和三十二年二月上旬まで数回に亘り労働組合と団体交渉を重ねたが、結局組合も原告の解雇は止むを得ないと認め、諒承するに至つた。

(三)  そこで同年二月十八日被告会社は原告を労働協約第三十四条就業規則第八十二条第二号に則り懲戒解雇処分に付したのである。

右の如く本件解雇は原告の長期無断欠勤を理由として労働協約及び就業規則上当然なさるべきことをなしたまでであつて、無断欠勤の事実なしとする原告の主張は全く誤つている。」

と述べた。

証拠〈省略〉

理由

被告会社が石炭の採掘、販売を業とする株式会社であつて、原告が昭和二十七年十一月試用者として被告会社の工作課捲揚機運転工に雇傭されその後同会社の労働者として稼働してきたこと、原告が被告会社の田富炭礦々員として稼働中昭和三十一年十月一日より同月九日までの期間と同月二十二日より翌昭和三十二年二月十八日までの期間欠勤を続けたこと(但しその度に欠勤届が提出されたか否かについては後記のように争いがある)、及び被告会社が昭和三十二年二月十八日無断欠勤を理由として(もつとも、解雇当時その理由が明示されたかどうかについて後記のように争いがある)原告を懲戒解雇処分に付したことはいずれも当事者間に争いがない。

そこでまず前記解雇処分に当り、被告会社において解雇の理由を明示したかどうか、ならびに法令に定める解雇の予告をしたかどうかについて判断する。

成立に争いのない乙第五号証に証人高川喜久雄、同光永市雄、同平原陽五郎の各証言及び右平原の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第七号証の一、二を綜合すれば、昭和三十二年二月十八日被告会社は後記認定のような経緯から長期無断欠勤を理由として原告を解雇処分に付することとし、当時の勤労主任高川喜久雄において部下の外勤区長平原陽五郎に対してその旨を原告に通告するよう命じ、更に右平原の命を受けた外勤係員西山順治が即日直接原告に面接して右解雇理由と共に解雇通告をなしたこと、これより先右解雇日の三十日以上前である昭和三十一年十二月二十八日前記高川勤労主任は原告の無断欠勤が継続している事情に鑑み、原告に対して解雇予告をしておく必要を感じ、前記平原外勤区長に対し原告に解雇予告をするよう命じたので、右平原は同日自ら原告方に赴き無断欠勤を理由に昭和三十二年一月末日付で解雇する旨の予告をなしたこと、及び被告会社の原告に対する解雇予告は昭和三十一年十二月二十八日付で原告の所属する田富炭礦労働組合にも通知されたことをそれぞれ認めることができる。証人西山都、及び原告本人の各供述中、右認定に抵触する部分は前掲証拠に照らしたやすく措信することができず、他にこれを覆えすに足る証拠はない。とすれば、本件解雇処分に当り被告会社において原告に対し解雇理由を明示せず且つ適法な解雇予告をしていないとして本件処分の無効を主張する原告の非難は失当である。

そこで進んで原告の昭和三十一年十月一日より同月九日までの欠勤及び同月二十二日以降解雇処分のあつた昭和三十二年二月十八日までの欠勤が欠勤届を提出しない無断欠勤であつたか否かについて判断する。

まず、被告会社の田富炭礦鉱員就業規則にはその第八十二条第二号において、正当の理由なく無断欠勤が引続き五日以上に及ぶときは懲戒解雇に処する、但し情状により出勤停止又は減給に止めることができる旨定められていること及び被告会社と前記組合との間に昭和三十年四月十八日締結された労働協約には、その第三十四条第一号において、労働協約、法令、其の他諸規定に違反し悪質と認められる者は懲戒解雇に処する旨定められていることは成立に争いのない乙第一号証、同第二号証の一により、また右労働協約が本件解雇当時も効力を保有していないことは弁論の全趣旨によりその成立の肯認される乙第二号証の四によつてそれぞれこれを認めることができる。そして、前記労働協約にいう「其の他諸規定」には当然就業規則をも含むものと解すべきである。

ところで原告が昭和三十一年二月二十三日落硬により左前腕部を負傷し、同年四月三十日小倉市労災病院に入院し、同年九月十五日症状固定により退院したことは当事者間に争がなく、前掲証人高川光永、平原の各証言と成立に争いのない乙第四号証ならびに証人西村孝之、同近藤義男の各証言を綜合すれば、原告は右退院の後同月二十一日より再び被告会社に出勤し始めたものの前記負傷に因る後遺症のため左手使用不能の状態であつたので、坑内通気門番夫または選炭夫等の軽作業に就業方を希望したが容れられず、坑内充填夫の職種を与えられたため、その労働を満足に果すことができず、被告会社よりは原告にできる範囲のことをすればよいといわれていたけれども、その労働に不満と苦痛を感ずるようになつたので、同年十月一日より欠勤することが多くなつたこと、しかしながら原告は被告会社係員に対して右労働に対する不満苦痛を訴えて職種の変更方を申出たことは一度もなく、同月下旬頃被告会社に提出した欠勤届には単に「障害等級決定時まで」とか「人件費節約のため」とかの欠勤理由が記載してあるのみで、その後翌十一月三日に至つて提出した欠勤届にも当分の間欠勤する、その理由は「家事の都合による」という漠然としたものであつたこと、右届出を受理した被告会社としては右の届出によつて一応十一月一日より十日までを好意的に事故欠勤(届出欠勤)の取扱をしたけれども、同会社勤労主任高川喜久雄は右欠勤届を理由不備であるとして前記平原陽五郎等に対し具体的且つ詳細な欠勤事情の調査を命じ、その際原告がその職務上の不満をもつて欠勤するのであれば被告会社としても原告の言分を聞いて善処する用意があるからとにかく出勤するようにと伝えさせたところ、原告は「用事があるのなら被告会社の方から出て来ればよい、自分が会社に行く必要はない」などといつて頑に出勤を拒みつづけ、他方被告会社を納得させるような欠勤届も提出しなかつたこと、このため右高川は十二月二十八日に至り原告に対して前記認定のごとき解雇予告を発するとともにその旨前記労働組合にも通知したところ、組合でも早速組合長光永市雄、労働部長西村孝之等が原告に対して被告会社との仲介の労をとるから出勤するように要請して原告が解雇されないように努力したが、原告の積極的拒絶にあつてその斡旋を断念するとともに原告の解雇は止むを得ない旨を被告会社に報告したこと、そこで被告会社は昭和三十二年二月十八日長期欠勤を理由として労働協約第三十四条、就業規則第八十二条第二号に従い依然として欠勤を続ける原告を懲戒解雇処分に付したことを認めるに十分である。右認定に反する原告本人尋問の結果は前掲証拠に照らし信用することができず、他に右認定を左右する証拠もない。

およそ正常なる労使関係のもとにおいては、雇傭契約の本質に鑑み被用者が病気その他止むを得ない事由でその労務を供給することができない場合には、その旨の届出をなすべきことは事理の当然に属し、しかもその届出は、殊に相当長期に亘る欠勤が予想されるときは、ただ「家事の都合により当分の間欠勤する」というような理由の曖昧な欠勤の届出ではその理由となし難いのであつて、ある程度具体的に欠勤の事由及び見込期間を示した欠勤の届出をなすべきである(事由の如何によつては必要に応じ一応右事由を証明するに足る資料を添付すべき場合もあり得る)と解すべきである。そして、このことは前掲乙第一号証の被告会社の就業規則第三十六条においても明らかに要請されていることなのである。

いまこれを原告の場合についてみると、原告が昭和三十一年十一月三日「家事の都合により当分の間欠勤致します。」との欠勤届を提出したまま、なんら首肯するに足りる正当な理由を示さないで、昭和三十二年二月十八日の解雇当日に至るまで三ケ月余の長期間に亘り継続して欠勤したことは前示認定により明らかである。そうだとすれば、右届出は単に形式上欠勤届というに止まり、届出としての実質的な効力を生ずるに由なきものであるから、右期間中の原告の欠勤は無届と同視すべきものであり、したがつて原告の右所為は前掲乙第一号証の鉱員就業規則第八十二条第二号に該当することが明らかであるうえに前段認定の解雇にいたるまでの被告会社、前記組合及び原告の各交渉の経過に照せば、原告の所為が前掲乙第二号証の一の労働協約第三十四条第一号に該当すると認められるから、被告会社のなした本件解雇は正当な処分であるといわねばならない(もつとも、被告会社が前記欠勤届を受理して、十一月一日より十日までを恩恵的に届出欠勤の取扱をしたとき、十一月十日以降は医師の診断書をつけねば無断欠勤の取扱をなす旨を原告に通知したとの被告の主張については、これを認定するに足る証拠が十分でないが、原告としては被告よりの右要請がなくとも自発的に前記のような不完全な欠勤届を補正すべき筋合のものであるというべきであるから、右の如き被告会社からの注意がなかつたとしても、前記認定に影響を及ぼすものではない)。

よつて被告のなした本件解雇処分の無効確認を求める本訴請求はいずれの点からしても失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川井立夫 村上悦雄 杉島広利)

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